11/19(日)今度は中宗岡の寺社巡りです!
11月19日、お宝発見講座の中宗岡地区寺社巡りが行われました。最初に向かったのは天神社で、参道から横並びの、二つの鳥居が見えました。何故縦に並ばない?一つは八坂神社のものと分かり納得。文政13年奉納の手水石に彫られた「武運長久 五穀豊穣」の説明や多くの石造物の紹介があり、メモ書きが大変でした。

次に案内されたところは実蔵院というお寺でした。江戸時代には寺子屋、明治初期には小学校の校舎になったとか。本堂の脇を通って境内に入り、筆子塚(筆子中)を拝見し、参道にある尾張藩の鷹場杭の説明も聞きました。この地域で行われた鷹狩りの記録によると、殿様は午前2時に穴八幡(江戸)を出てその日のうちに帰ったとか、受け入れる地元も殿様も大変だったのではと想像しました。

寺を出て向かいの空き地では、地域の伝説「泣き虫稲荷」の話を聞き、母親の心情を感じてほのぼのでした。一里塚跡では、倒木前の「榎の大木」写真が見られましたし、向かいの家は「一里塚」の屋号で呼ばれていた話を聞いて、歴史を感じました。これから歩く道が奥州街道に至る脇往還だったとは。街道のイメージがなかったな〜!

コンクリート板で蓋がけされた野火止用水跡の歩道を歩き、市指定文化財「御嶽山」に到着。目の前には多くの石造物が立っている小山がありました。これは凄い!と参加者の声。象形的な文字?で彫られた石碑の説明があり、知足行者の碑と理解できました。読めなくても彫るのは当時の流行りだったのか、明治の人は読めたのかな?

直ぐ隣にある産財氷川神社も市指定文化財でした。手水石の刻み、文政13年〜が天神社と同じかを確かめたところ同じでした。今回の特別な計らいで、拝殿の扉を開けていただき、本殿の造形を直接見られる鑑賞タイムがありました。彫刻の昇り竜も鯉の滝登りも見られたと案内スタッフも興奮気味でした。

御嶽講の大明神の銅像が個人宅にあるのを見て、信心深い地域のたたずまいを感じました。そして、門柱前の凄い石板を見て感動しました。石板には「御嶽大神・斎田」と刻んであり、神へ供える米を作る田に立てるものだとか。信心深い人はそこまでするのかと頭を垂れてしまいました。凄いが連続している! 次回も参加します!


次に案内されたところは実蔵院というお寺でした。江戸時代には寺子屋、明治初期には小学校の校舎になったとか。本堂の脇を通って境内に入り、筆子塚(筆子中)を拝見し、参道にある尾張藩の鷹場杭の説明も聞きました。この地域で行われた鷹狩りの記録によると、殿様は午前2時に穴八幡(江戸)を出てその日のうちに帰ったとか、受け入れる地元も殿様も大変だったのではと想像しました。

寺を出て向かいの空き地では、地域の伝説「泣き虫稲荷」の話を聞き、母親の心情を感じてほのぼのでした。一里塚跡では、倒木前の「榎の大木」写真が見られましたし、向かいの家は「一里塚」の屋号で呼ばれていた話を聞いて、歴史を感じました。これから歩く道が奥州街道に至る脇往還だったとは。街道のイメージがなかったな〜!

コンクリート板で蓋がけされた野火止用水跡の歩道を歩き、市指定文化財「御嶽山」に到着。目の前には多くの石造物が立っている小山がありました。これは凄い!と参加者の声。象形的な文字?で彫られた石碑の説明があり、知足行者の碑と理解できました。読めなくても彫るのは当時の流行りだったのか、明治の人は読めたのかな?

直ぐ隣にある産財氷川神社も市指定文化財でした。手水石の刻み、文政13年〜が天神社と同じかを確かめたところ同じでした。今回の特別な計らいで、拝殿の扉を開けていただき、本殿の造形を直接見られる鑑賞タイムがありました。彫刻の昇り竜も鯉の滝登りも見られたと案内スタッフも興奮気味でした。

御嶽講の大明神の銅像が個人宅にあるのを見て、信心深い地域のたたずまいを感じました。そして、門柱前の凄い石板を見て感動しました。石板には「御嶽大神・斎田」と刻んであり、神へ供える米を作る田に立てるものだとか。信心深い人はそこまでするのかと頭を垂れてしまいました。凄いが連続している! 次回も参加します!
