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2023/12/01

11/19(日)今度は中宗岡の寺社巡りです!

11月19日、お宝発見講座の中宗岡地区寺社巡りが行われました。最初に向かったのは天神社で、参道から横並びの、二つの鳥居が見えました。何故縦に並ばない?一つは八坂神社のものと分かり納得。文政13年奉納の手水石に彫られた「武運長久 五穀豊穣」の説明や多くの石造物の紹介があり、メモ書きが大変でした。
1天神社

次に案内されたところは実蔵院というお寺でした。江戸時代には寺子屋、明治初期には小学校の校舎になったとか。本堂の脇を通って境内に入り、筆子塚(筆子中)を拝見し、参道にある尾張藩の鷹場杭の説明も聞きました。この地域で行われた鷹狩りの記録によると、殿様は午前2時に穴八幡(江戸)を出てその日のうちに帰ったとか、受け入れる地元も殿様も大変だったのではと想像しました。
2筆子塚

寺を出て向かいの空き地では、地域の伝説「泣き虫稲荷」の話を聞き、母親の心情を感じてほのぼのでした。一里塚跡では、倒木前の「榎の大木」写真が見られましたし、向かいの家は「一里塚」の屋号で呼ばれていた話を聞いて、歴史を感じました。これから歩く道が奥州街道に至る脇往還だったとは。街道のイメージがなかったな〜!
3一里塚

コンクリート板で蓋がけされた野火止用水跡の歩道を歩き、市指定文化財「御嶽山」に到着。目の前には多くの石造物が立っている小山がありました。これは凄い!と参加者の声。象形的な文字?で彫られた石碑の説明があり、知足行者の碑と理解できました。読めなくても彫るのは当時の流行りだったのか、明治の人は読めたのかな?
4御嶽山

直ぐ隣にある産財氷川神社も市指定文化財でした。手水石の刻み、文政13年〜が天神社と同じかを確かめたところ同じでした。今回の特別な計らいで、拝殿の扉を開けていただき、本殿の造形を直接見られる鑑賞タイムがありました。彫刻の昇り竜も鯉の滝登りも見られたと案内スタッフも興奮気味でした。
5産財氷川神社

御嶽講の大明神の銅像が個人宅にあるのを見て、信心深い地域のたたずまいを感じました。そして、門柱前の凄い石板を見て感動しました。石板には「御嶽大神・斎田」と刻んであり、神へ供える米を作る田に立てるものだとか。信心深い人はそこまでするのかと頭を垂れてしまいました。凄いが連続している! 次回も参加します!
6斎田の石板





2023/11/11

10/29(日)上宗岡の寺社を巡りました!

秋らしくない?10月29日、上宗岡地区寺社巡りが行われました。お宝を期待して総合福祉センターに集合。最初に案内されたのは、明治時代の産業遺産「大小合併門扉」レンガの残骸で、254号バイパスの工事に伴い取り壊され、仮置きされた歴史的遺産でした。
産業遺産

新設されたバイパス側道を歩き、上ノ氷川神社に向かいました。道すがら、道興准后歌碑を拝見。夕けぶり〜あらそふ〜 の和歌が刻んでありました。有名な人が宗岡に来ている、すごい。宗岡の地名が初見された文献、廻国雑記を読むべきか悩むな〜。
道興准后碑

上ノ氷川神社は1078年、大宮氷川神社から分祀、宗岡で最古の氷川様とか、下ノ氷川神社を分祀する際、石臼の上臼を社殿の下の埋め、下臼を下ノ氷川に譲り両方の神社を正対させ、宗岡の地・人を守るとか、感動の話も聞けました。
上ノ氷川神社

千光寺の正式名称は青龍山観音院千光寺、新義真言宗のお寺です。秘仏の話や市指定文化財である、1418年作成の鰐口を拝見しました。また、市内で最古の創建である寺院の境内に佇む南北朝時代の元号が刻印された宝篋印塔なども拝見しました。
千光寺

バイパスの信号を渡り、かつての「鎌倉道」を歩いて曹洞宗の大仙寺に案内されました。山門前の大燈篭の紹介では、東京芝・増上寺に奉献されたものが移築されていること、市内で最古の板碑があったこと、室町時代の創建時を示す棟木名が発見されたことも説明されました。すごい!
大仙寺大燈篭

少し長歩きをして日行星山碑も案内されました。世界遺産を構成する「吉田胎内」を開基した星野勘蔵氏の顕彰石碑でした。こんなところに立っていたのか? 遠まきに水塚を眺めながら浅間神社へ向かいました。
日行星山碑

浅間神社では、氏子総代の配慮で本殿に上らせてもらい、歌川貞村作の絵馬と「閻魔大王の図」絵馬と対面でき、ウオーと感嘆の声が出てしまいました。狛猿や力石、2回に亘って移築された市指定文化財の羽根倉富士嶽の説明がなされ、「蚕機神寄附連名」石碑の説明では明治時代、機織りが盛んだったことが知れました。氏子総代に感謝を表して終了しました。凄いお宝が見られた、次回も参加した〜い。
絵馬











2023/10/20

10/15 いろは遊学館「ふれあい祭り」

10/15「ふれあい祭り」に昨年同様、紙芝居の上演を行いました。

始まるまでのひととき 鼻笛をお楽しみいただきました。

はな笛

いよいよ、紙芝居のはじまりはじまり
最初は、「田子山富士塚物語」です。

田子山

高須さんは、そこですごいものを発見したのです。

田子山2

次は、「おしょうに助けられたかっぱ」のお話です。志木のゆるキャラはなんでカパルとカッピーなの?

かっぱ

「捕まえたものは何かと言えば、、、カッパなり」

かっぱ2

最後は、「長勝院のチョッピラリン」 和尚さんとタヌキの戦いです。

チョッピら

「やまんばのにしき」という民話もやりました。

やまんば

楽しい 楽しい 紙芝居
今年、来られなかった人は、来年来てね!!!

2023/09/26

 寺社巡り② 本町・柏町地区

残暑の9月17日、寺院巡り(その2)本町・柏地区と題した「お宝発見講座」が行われました。早めに集合された方は、長屋門で開かれている写真展を見られていました。参加者は外国人を含めて18名の方々で、最初の案内地は地王山地蔵院宝幢寺の山門でした。
1_長屋門に集合


山門をくぐってすぐ、太いケヤキと出くわしてびっくりでした。1334年の開山、御朱印寺であったこと、境内には沢山の石像があり、陰刻の六地蔵の紹介がありました。本堂はあいにく修復中でした。ヒマラヤスギの幹回りを、参加した子供とスタッフが手を繋いで測ったようです。この地域が尾張藩のお鷹場だったことやカッパ伝説も聞けました。
2_石像物の説明


東明寺では二つのお宝である、蟇俣の字が刻まれた市指定文化財の地蔵像と、東上鉄道(東武東上線)の誘致に尽力された井下田慶十郎翁のお墓が紹介されました。井下田翁の戒名は鉄道王に相応しく「交通院慶運東上居士」と刻まれていました。リクエストもあり、樽の形状をした石像モニュメントも拝見。働き者と慕われた人が眠っているのでしょう。
4_誰を偲ぶのかな


ここから、しばらく歩きます。と言っても、ほぼまっすぐです。富士道に入り、左が敷島神社の参道の角にあるのが立善講寺(りゅうぜんこうじ)、日蓮宗のお寺です。明治初年、日蓮宗徒が一心講という組織を作り、田子山富士築造時には、四合目に南無妙法蓮華経の石碑を建てるなどの活動をしていましたが、寺院を得たいという思いに至り池上本門寺に誘致を願い、かなえられたお寺です。
日蓮宗は、鎌倉仏教の一つ。日蓮上人は、内村鑑三の「代表的日本人」に西郷隆盛らと並んで選ばれた人物です。本堂正面の彫り物は美しく、創建年代等今後の研究が期待されるそうです。
5_立派な立善講寺


細田学園を左に見て、しばらく行くと道が二股に、左を行くとすぐ御嶽(おんたけ)神社の看板があります。ここは、一説によると天保2年(江戸時代)の創建ですので、このあたりで一番古い神社です。本堂の下には、何やら字の書いてある石がありました。みんなで、のぞいてみました。写真の社務所の中に、氏子総代さんのご厚意で入れていただきお話をうかがいました。実明講の方たちが守ってきたそうです。講の代表が木曾の御嶽にお参り(登山だそうです)したり、山開きや初午も行われてきたそうです。中には、古い写真も掲示してあり、歴史を感じました。
6_御嶽神社古い社務所


最後は、敷島神社に向かいます。田子山富士の下と山頂に鎮座する浅間神社の話を聞いたあと、ここも氏子総代さんのご厚意で敷島神社の本殿の中にお招きいただきました。神社にあがる時はきものをそろえようと神様にお尻を向けるのはマナーに反するなど、いろいろお話をうかがって、最後はありがたいお神酒(みき)をいただきました。
7_御神酒も頂いた


暑い中でしたが、無事終了いたしました。
次回は10/29(日)上宗岡の寺社めぐりです。お楽しみに。、
2023/08/07

小学生のみんな大集合「紙芝居とお話」

第2回の「お宝発見講座」は、趣向を変えていろは遊学館で、お宝に関する紙芝居とお話でした。異常な暑さが続く中のまち歩きは危険ですので、新たな企画です。

司会2

総合司会が今日の流れの説明をします。
老若男女が注目しています。

司会

中央には、すでに一つ目の紙芝居が準備されてます。
一つ目は何かな
その前に「志木の田子山富士塚ものがたり」の作者からお話が、
今日NHKが取材に来てまーす。

深瀬

NHKの方から、世界遺産10周年記念の番組を作ってます。
ご協力よろしくお願いします。
と、お話がありました。

NHK.jpg

さあ、いよいよ紙芝居の始まりです。
最初は、「長勝院のチョッピラリン」

チョッピラリン

みなさん、長勝院を知ってますか、
志木三小の子は、おとなりだから知ってるよね
江戸時代、尊祐(そんゆう)さんという和尚さん(お坊さん)が長勝院にいました。
和尚さんは、時々たぬきがいたずらに来るので困っていました。

チョッピラリン2


困った和尚さんは、たぬきをこらしめてやろうと考えました。
その考えとは・・・・     

いろりの火で石を焼きたぬきに投げつけて驚かしてやろう
というものでした。
小坊主に化けたたぬきは、きものの中に熱い石を投げ込まれて熱ーい
和尚さんに向かい
「長勝院のチョッピラリン」と叫びます 悪口だと思った和尚は
「そういう者こそチョッピラリン」とやりあいます
そしてどうなったか・・・



次は「志木の田子山富士塚ものがたり」です。

田子山1


江戸時代の終わりから明治時代にかけてのお話、
志木に高須庄吉さんというお醬油(しょうゆ)を作っている人がいました。
高須さんの夢に神様のおつげがあり、田子山富士塚を造ることになりました。

ブルドーザーもダンプカーもない時代、どうやって築いたのでしょう
どのくらいかかったのでしょう

田子山2

富士山から本物の溶岩(ようがん)を運び、富士山にある神社の名前を彫った石を立て
山頂から富士山をながめられるすばらしい富士山がこうして志木にできたのです。

田子山3

8/20には山仕舞 おたきあげも行われます。
ぜひ、見に来てください。
みなさんも、「田子山富士塚を守り伝える人になってくださいね。

紙芝居のラストは「おしょうにたすけられたかっぱ」です。
これは、柏町の寶幢寺(ほうどうじ)に関係したお話です。
江戸時代の元の文のままなので、ちょっとむずかしいよ。

カッパ1

むさしの国 河ごへのかたはらに たてといふ所あり

此河にかっぱのありてうまや人やとりけり
ほうどうゐんといふ寺ありけり

志木はもともと舘(たて)村といったのですね
ほうどうゐんが寶幢寺です

かっぱ2


とらへたれば かっぱなり
やきころせ
和尚もみをりて人々にいのちこひ

捕まってしまったカッパ
焼き殺されそうでしたが
和尚さんが助けてくれました

かっぱ3

それでカッパは和尚さんにお礼をするのですが何でしょう
それは、寶幢寺のカッパ像を見に行ってね

紙芝居のあとは、昔の志木の子どもたちはどんな遊びをしたかのお話です。
テレビゲームのない時代です。

遊び1

男の子はチャンバラ 女の子はままごと

遊び2

めんこ おはじき
まりつきをする時は
♬いちれつだんぱんはれつして にちろせんそうはじまった
意味もわからず歌ってました

遊び羽子板

羽根つきは、こんなに立派なのではやらなかったけれど
こういう立派な羽子板を作る職人さんが志木にもいたそうです

終了後、インタビューされてる人もいましたよ
テレビに映るかな

インタビュー

お宝発見講座、8月はお休み
次回は9/17(日)本町地区の寺社巡りです。
お楽しみに!!